三國志Ⅱ
(光栄)
<はじめに>
中国文学の最高峰とうたわれる『三国志』。この壮大な物語をもとにして作られたパソコンゲーム「三國志」を世に送りだしたのは、1985年のことでした。以後、ファミコンにも移植され、幅広い層のファンの皆さまに楽しんでいただいております。内政や外交をして国を豊かにし、戦争をして領土を拡大し、中国の統一支配をめざす――物語さながらの雰囲気を味わえるこのゲームは、シミュレーションゲームの最高峰として、皆さまからの数々の絶賛をいただいたのです。
しかし一方で、さらなるグレードアップへの期待と、熱意ある意見・要望も寄せられつづけ、私たちは嬉しい悲鳴をあげることになったのです。いわく、登場武将数を増やしてほしい、原作の武将像に近づけてほしい、HEX戦を強化してほしい…。これらのご期待に応えるものとして新たに生まれたのが、「三國志Ⅱ」です。この「三國志Ⅱ」を、今、ファミコンで楽しんでいただくことができるようになりました。
「三國志」にくらべ、シナリオ・武将・コマンドが充実し、HEX戦も強化され、特に、新たに一騎打ちが取り入れられたほか、援軍だけでなく共同作戦なども可能になりました。それだけではありません。「三國志Ⅱ」の最大の特徴は、計略です。原作の権謀術数が渦巻く世界をできるかぎりシミュレートしたつもりです。どうぞ「三國志Ⅱ」の世界にタイムスリップして、計略の面白さを存分に味わってください。
シブサワ・コウ
<目次>
Ⅰ.三國志Ⅱの世界 … ゲームの内容について説明します。 Ⅱ.再び、乱世へ … 操作方法とゲームの始め方、終わり方について説明します。 Ⅲ.天下統一を望む … ゲームの進め方について説明します。 Ⅳ.戦争のとき来たり! … 戦争について説明します。 Ⅴ.乱世を知る … ゲームのデータについて説明します。 Ⅵ.英雄、戦略す … コマンドについて説明します。 Ⅶ.時局急転! … イベントについて説明します。 Ⅷ.三國志英雄豪傑伝 付.シナリオ別君主一覧 |
<Ⅰ.三國志Ⅱの世界>
■三國志Ⅱとは本国 | 君主が直接治めている国で、毎月命令出しをします。 |
属領 | 本国以外の領土で太守が治める国。直轄地では本国同様プレイヤーが毎月命令を出し、委任国ではコンピュータによって自動的に命令出しされます。 |
空白地 | 誰も治める者のいない国。ここに武将を移動すると自分の国にできます。 |
君主 | 全領土、および本国の統治者。 |
太守 | 君主が複数の国を統治しているとき、属領を統治する武将。君主が任命します。毎月命令出しするか、太守に一任します。謀叛を起こすことがあります。 |
軍師 | 君主の命令出しのとき、助言を与える武将。君主が任命します。知力80以上が必要です。 |
現役武将 | 君主の配下武将。他国に引き抜かれたり、離反することがあります。 |
在野武将 | 誰の配下にもなっていない武将。登用に成功すると、現役武将となります。 |
<Ⅱ.再び、乱世へ>
■コントローラーの使い方
コントローラーはⅠ・Ⅱのどちらを使ってもプレイできます。2人以上でプレイする場合も、人数に関係なく、どちらのコントローラーも使えます。
【コマンドを選ぶとき】
画面の上部に移動、軍事などのコマンド欄があります。十字ボタンの←→で赤表示を任意のコマンドに動かし、Aボタンを押します。すると、ウィンドウが開いてサブコマンドが表示されますので、十字ボタンの↑↓を動かしてAボタンで選びます。
サブコマンドを選ぶ前にBボタンを押すとそのコマンドは取り消しになります。
画面上部の左または右に矢印が表示されている間は、その方向に赤表示を動かせます。
【武将を選ぶとき】
コマンドを実行させる武将を選ぶときなどに用います。
コマンドを選ぶと、画面に武将の名前のリストと[NEXT]・[終了]などが表示されます。武将の選択と、[NEXT]・[終了]の切り替えは、十字ボタンの←→で行います。
まず、十字ボタンの↑↓でを実行させたい武将に合わせ、Aボタンで決定します。複数の武将を選ぶときは、選ばれた武将の横に*がつきます。選択し終わったら、画面上の[終了]を選んでAボタンで決定します。
一度選んだ武将を取り消すときは、をその武将に合わせて、もう一度Aボタンを押します。
画面上に表示しきれない武将は、[NEXT]を選んでAボタンを押すと表示されます。
※ソート機能
武将のデータを基準にして武将を並べ変えることができます。武将のリストが表示されている画面で、[知力]を選びます。このとき、十字ボタンの→を押すと、武力、魅力、兵士数、忠誠度、ふたたび知力の順に切り替わります。自分の好きなデータを選び、Aボタンを押すと、そのデータの数値の大きい順に武将が並び変わります。ただし、君主は常にトップに表示されます。太守もコマンドによってはトップに表示されることがあります。
【国を選ぶとき】
外交や戦争で相手国を指定するときなどに用います。
マップ画面上で、十字ボタンで矢印を動かして、Aボタンで選びます。国選択中Bボタンで表示中の君主切り替えになり、十字ボタンの↑↓で切り替えが行われます。このとき、Aボタンで国選択へ復帰、Bボタンで国選択が取り消されます。
国番号が表示されているのが選択可能国です。空白地の番号は表示されませんが、選択できる場合もあります。
また、君主名の横には上に敵対心、下に信用度が表示されます。
【(Y/N)?】
コマンド実行を確認するときなどに、「よろしいですか(Y/N)?」と表示されます。Y(はい)のときは十字ボタンの←を、N(いいえ)のときは十字ボタンの→を押してください。
【数字を入力するとき】
入力可能な範囲が「○-○」と表示されます。十字ボタンの←→で▲を好きな桁に合わせ、↑↓で数字を上下させて、Aボタンで決定します。
▲が一番左にある状態で←を押すと、そのとき入力できる最大値になります。このとき、もう一度←を押すと0に戻ります。
【戦争での移動・攻撃方向を決定するとき】
戦争での部隊の移動・攻撃は、十字ボタンで矢印を出して方向を決定し、Aボタンを押すと実行されます。
* | 十字ボタンの↑か↓を押すと矢印はそれぞれ↑↓に向きます。 |
* | ←か→を押すと最初はそれぞれ左上、右上を向きますが、続けて押すと左下、左上、左下と交互に向きが変わります。 |
* | 矢印がすでに↑を向いているとき、→を押すと矢印は右上を、←を押すと左上を向きます。すでに↓を向いているときは、→を押すと矢印は右下を、←を押すと左下を向きます。 |
① | ROMカセットをスロットに差し込みます。 | |
② | 本体の電源を入れます。 | |
③ | オープニング画面が始まります。オープニングが終わるとタイトル画面が表示されますので、スタートボタンを押してください。すぐに始めたいときは、オープニングの途中でスタートボタンを押してください。 | |
④ | 次のようなメニュー画面が表示されます。
|
① | メニュー画面で、プレイしたいシナリオを選びます。 |
② | プレイ人数を決めます。0を入力するとコンピュータ国同士の戦いを見ることができます。0人プレイを終えるときは、リセットボタンを押してください。 |
③ | 中国のマップが表示されますので、自分の好きな君主の国に矢印を合わせ、Aボタンで決定します。画面下にそれぞれの国を統治する君主名とそのマークが表示されます。Bボタンを押すと残りの君主候補が表示されます。 空白地(誰も治めていない国)を選ぶと、「新君主」を選ぶことになり、新君主設定に移ります。 |
④ | ゲームレベルを選びます。数が大きいほど難しくなります。 |
⑤ | 他国同士の戦争(HEX画面)を見るかどうかを決めます。ゲーム中に変更することができます。 |
⑥ | 最後の確認です。Yを選ぶと、MAIN画面に移り、ゲームを開始します。やり直したいときはNを選び、直したい項目を選びます。 |
① | ぶしょうめい:ひらがな7文字まで入力することができます。「゛」や「゜」も1字分に数えます。 |
② | たんじょうび:誕生月・日・年齢の順に入力します。 |
③ | せいべつ:男性か女性かを入力します。 |
④ | のうりょく:知力・武力・魅力の3つの能力を設定します。年齢と性別によって決められた基本値にボーナスポイント50を割り振ります。十字ボタンの←→で増やしたい能力を選び、↑↓で上下させて、その数値を決めます。そのとき、Aボタンを押すとその能力が最大値になり、Bボタンを押すと基本値に戻ります。最大値はそれぞれ100です。 |
① | セーブ MAIN画面上でセレクトボタンを押して、SAVEを選んでください。ゲーム内容は1つしかセーブできません。新しくセーブすると、以前にセーブしたゲーム内容はなくなります。 |
② | 終了 セーブ後、終了するかどうかを聞いてきます。終了したいときはYを、したくないときはNを選んでください。終了したときのみ、「こんごのなりゆきをみまもりますか(Y/N)?」と表示されます。Yを選ぶと、プレイヤーが担当していた君主をコンピュータが担当し、ゲームを続行します。Nを選ぶとクレジット画面が表示されますので、リセットボタンを押しながら電源を切ってください。 |
ウェイト | MAIN画面でセレクトボタンを押して、ウェイトを選んでください。 メッセージなどを表示する時間・使者の移動速度を調整します。10段階に分かれ、数字が小さいほどスピードが速くなります。 |
HEX | 他国の戦争(HEX画面)を表示するかどうかを決め直すことができます。 |
SAVE | 「ゲームをやめる」を見てください。 |
<Ⅲ.天下統一を望む>
■MAIN画面
ゲームを開始すると次のような画面が表示されます。
<Ⅳ.戦争のとき来たり!>
軍事のせんそうで他国へ攻め込んだり、他国から攻め込まれると、戦争に突入し、HEX画面に切り替わります。
■HEX画面
HEX画面上でBボタンを押すと、その時点の両軍の兵士数・兵糧・軍資金が表示されます。と同時に「ちけいをみますか?」と表示されます。Yを選ぶと、部隊表示が消えます。何かボタンを押すと、戦闘に戻ります。
快晴 | いわし雲 | 雨雲 | 雨 |
■部隊表示 武将1人とその武将の持っている兵士が1部隊となります。 伏兵中の部隊は、HEX上に表示されません。
■地形 地形を表すHEXには、次の7つがあります。各部隊は移動のための機動力を持ち、機動力は、進入するHEXの地形に応じて消費されます。基本の機動力はその部隊の訓練度が高いほど、大きくなります。機動力は最大6です。
■戦争の流れ 戦争は、次のような流れで行います。 ■将軍について 戦争のときは、将軍を決めます。君主・太守が参戦していれば自動的に将軍になり、していなければ参戦武将の中から将軍を選びます。将軍が死んだり捕らえられたりしたとき、また将軍が退却して全軍退却となったとき、その戦争は負けになります。 ■参戦武将の選択、部隊配置 まず守備側から参戦させる武将を10人以内で選び、1部隊ずつ戦場に配置します。このとき、君主または太守が自動的に将軍となります。部隊を配置できるHEXは、攻撃側は○で、守備側は×で表示されます。参戦しない武将は戦闘開始後に改めて出陣させることができます。守備側の配置がすんだら、同様に、攻撃側が5人以内で選んだ参戦武将をすべて戦場に配置します。 ■一騎打ち 配置がすむと、守備側は、一騎打ちの申し込みをするかどうかを決めます。申し込む場合は、武将を選びます。攻撃側が受ければ、すぐに両名が戦います。 守備側が一騎打ちの申し込みをしなかった場合は、攻撃側が一騎打ちの申し込みをするかどうかを決めます。 一騎打ちに勝つと、相手を捕らえることができ、また、自分より武力の高い武将に勝つと、武力が上がります。 一騎打ちを申し込まれて断わると、兵士数が減ります。 武将の性格によっては、勝手に一騎打ちをすることもあります。 ■ターン 一騎打ちがすむと、いよいよ部隊同士の戦闘に入ります。 ターン(命令出しの機会)は、守備側→援軍→攻撃側→共同軍の順に、各軍各武将に回ってきます。 各軍とも将軍・太守は最初に、以降は配置順に、HEXコマンドを実行させます。 守備側は援軍を、攻撃側は共同軍を、また、長期戦になると攻守ともに応援部隊を呼ぶことができます。 ■援軍の要請と到着(守備側のみ) 守備側は他国に攻められたとき、同盟国に援軍を要請することができます。相手君主を選んで、使者となる武将を送ります。同盟国がこれに応じて出兵し、援軍・使者が到着すると、自動的に配置し参戦します。 同盟国が応じなかった場合は使者だけが戦場に戻ってきます。 援軍が到着するまでの日数は、プレイヤーの君主の信用度と魅力によります。 守備側が勝利すると、派遣された援軍の武将数に応じて、戦利品の金・米が自動的に分配されます。 到着前に戦争が終わると、援軍はもとの国に戻ります。 ■共同軍の到着(攻撃側のみ) その月か前月に共同作戦を約束していて、相手国が約束どおり出兵し、共同軍が到着すると、自動的に配置し参戦します。 共同軍が到着するまでの日数は、プレイヤーの君主の信用度と使者の魅力によります。 到着前に戦争が終わると、共同軍は自国に戻ります。 攻撃側が勝利すると、派遣された共同軍の武将数に応じて、戦利品の金・米が自動的に分配されます。 ■長期戦 30日以内で勝敗が決まらない場合は、長期戦となります。 いったんMAIN画面に戻って、その月の残りの国の命令出しと翌月の戦場国以外のすべての国の命令出しを終えると、再びHEX画面に戻って戦争を続けます。 【応援部隊を送れる】 戦争中でない自国領から、戦場国の自軍に応援部隊を送ることができます。ただし、参戦中の武将が守備側は10人未満、攻撃側は5人未満のとき、戦場国と隣接しているときに限ります。 応援部隊を送るには、長期戦が始まる前にMAIN画面でのターンが回ってきたとき、軍事のせんそうで戦場国に攻め込みます。 【同盟を破棄すると援軍・共同軍が退却する】 長期戦が始まる前のMAIN画面のターンで、同盟を破棄することができます。援軍・共同軍を呼んだ国が同盟破棄しても、派遣中の国が同盟破棄しても、援軍・共同軍は全員退却します。戦利品の金・米は分配されません。 【君主が死亡したら?】 戦争開始から長期戦に突入する間に君主が死亡した場合、太守または将軍となっている武将、および戦争に参加していない武将の中から後継者を選び、戦争を続けます。 ■勝利条件 戦争の勝敗は次のように決まります。 【攻撃側の勝利】 城を占拠する 守備側の兵糧を0にする 守備側の武将をすべて捕らえるか退却させる 守備側の太守を捕らえるか殺す 【守備側の勝利】 攻撃側の兵糧を0にする 攻撃側の武将をすべて捕らえるか退却させる 攻撃側の将軍を捕らえるか殺す ■戦後処理 戦場国は勝利国の領土となり、攻撃側が勝ったときは、将軍が勝ちとった国の太守になります。 攻撃側が全軍退却したときは、それまでに攻撃側が捕らえた武将は守備側の所属に戻ります。 勝利国は、次の順で捕らえた敵の処置などを決めます。 生き残りの兵士は、各武将と運命をともにします。 【武将の処置】
【君主の処置】
<Ⅴ.乱世を知る> ■国データ
【人口】 最大3,000,000 画面では1/100の値が表示されています。 多いほど、金・米の収入が多くなります。 毎年1月に増加し、洪水・疫病などの災害や軍事のちょうへいによって減ります。 【兵士】 画面では1/100の値が表示されています。 軍事のちょうへいによって増やせます。俸禄として毎年1月に金、7月に米を支給します。俸禄が足りないと兵士数が減ります。洪水・疫病などの災害や戦争によっても減ります。 【金】 最大30,000 毎年1月に増えます。増える量は、人口・土地価値などによって違います。 兵糧を売ったり、臨時徴収をして増やすことができます。 【兵糧】 最大3,000,000 画面では1/100の値が表示されています。 毎年7月に増えます。増える量は、人口・土地価値・治水度などによって違います。 商人から買ったり、臨時徴収をして増やすことができます。 【民(民忠誠度)】 0~100 1月の金、7月の米の徴収量に影響します。極端に低いと、住民反乱が起きることがあります。 内政のほどこしによって上がり、また、洪水・いなごなどの災害や戦争、軍事のちょうへいによって下がります。 【土(土地価値)】 0~100 1月の金、7月の米の徴収量に影響します。 内政のかいはつによって上がり、洪水・いなごなどの災害や戦争によって下がります。 【水(治水度)】 0~100 7月の米の徴収量に影響します。高いほど、洪水・台風が起こりにくくなります。 内政のちすいによって上がり、洪水・台風、戦争によって下がります。 【信(信用度)】 0~100 君主の社会的な人望を表し、外交や登用の成否に関係します。 【武(現役武将)】 君主の配下の武将です。毎年1月に金、7月に米が、俸禄として支払われます。 【在(在野武将)】 誰の配下にもなっていない武将です。人事のそうさくによって発見でき、とうようによって現役武将として召しかかえることができます。 【馬(名馬の数)】 最大100 名馬は、配下の武将に褒美として与えたり、在野武将や他国の武将を登用するために与えたりします。 1頭あたり金100で商人から買うことができます。 【相(米相場)】 1~100 金100で買える米の量です。商人と売買するときのめやすになります。この値が高いときに米を買ったり、低いときに米を売ったりして儲けることができます。毎月変動します。 ■武将データ 登場するすべての武将は次のデータを持っています。これらのデータは、情報のぶしょうで見ることができます。○印は君主のみが持つデータです。
【体調】 コマンド実行武将選択および武将一覧のとき、良好か負傷かを名前の色で表します。 良好のときは白、負傷のときは緑、そのターンですでにコマンドを実行させたときは赤で表示されます。赤と緑のときはコマンドを実行させられません。 戦争で捕まったときや、疫病などで負傷状態になりますが、3カ月以内に治ります。 【位】 その武将が君主・太守・軍師の場合に表示されます。 【状態】 その武将が現役であるか在野であるかが表示されます。現役の場合は「○○はいか」、在野の場合は「ざいや」と表示されます。 在野武将は人事のとうようで現役武将になります。 【所属】 その武将が仕えている君主です。たとえ計略のさくてきで他の君主に内通していても、形式上の所属が表示されます。 【仕官(仕官年数)】 現在の君主に仕えている年数です。 【ちゅうせい(忠誠度)】 その武将の君主への忠誠度です。褒美を与えると上がります。 1月の金、7月の米の俸禄が足りないと下がります。 低いと、離反して在野武将になったり、謀叛を起こして独立することがあります。 高いほど、他国から登用されにくく、また、戦争で寝返りにくくなります。 【ぶそう(武装度)】 最大100 各武将が持つ兵士の武装度を表します。武装度は、武器の数と兵士の数によって決まります。武装度が高いほど、戦争時での攻撃力が上がります。商人から武器を買うと上がります。 【くんれん(訓練度)】 最大100 各武将が持つ兵士の訓練度を表します。 訓練度が高いほど、戦争時での攻撃力・機動力が上がります。訓練によって上がります。軍事のへんせいで上下し、ちょうへいで新しい兵が増えると下がります。 【へいしすう(兵士数)】 最大10,000 画面では1/100の値が表示されています。 その武将に割り振られている兵士の数です。 軍事のちょうへいで増やし、へんせいで増やしたり減らしたりできます。 【ちりょく(ちりょく)】 頭の良さを表します。 知力が高いほど、内政や外交の効果が上がり、戦争時、誘導移動・火計に成功しやすくなります。 人事のほうびのしょもつで上げることができます。 【ぶりょく(武力)】 力の強さ、戦争における攻撃力を表します。 武力が高いほど、敵に与えるダメージが大きくなります。また使者や退却の際に捕らえられても、逃げやすくなります。 一騎打ちに勝つと上がることがあります。 【みりょく(魅力)】 外交などの使者としての能力を表します。 魅力が高いほど、内政・外交の効果が上がります。 【ねんれい(年齢)】 毎年1月に1つずつ年をとります。 寿命で死亡したり、成人して新たに登場する武将もいます。 【しんようど(信用度)】 君主のみが持つデータです。 君主の対外的な信用度を表します。 信用度が高いほど、外交・登用に成功しやすくなります。 同盟国に攻め込んだり、同盟国の使者を捕まえたり、共同作戦を守らなかったりすると、下がります。 同盟国の使者の通過を許したり、共同作戦を実行したり、援軍要請に応じたりすると、上がります。 【こんいん(婚姻関係)】 どの君主と婚姻関係があるか表示します。 婚姻関係がある国からは、攻め込まれにくくなります。 <Ⅵ.英雄、戦略す> ■MAINコマンド
【情報】 他の君主の国や空白地の情報を見るときは、実行させる武将を選びます。自分の本国・属領を見るときは、武将を選択せず、1ターンで何回も見ることができます。
【軍事】
【人事】
【商人】 商人がいないときは、実行できません。
【内政】
【外交】 以下のサブコマンドをそれぞれ選択すると、中国のマップと各国を統治する君主のリストが表示されます。君主名の横に敵対心と信用度が表示され、また同盟国の君主は青色で、交戦中などで選択できない君主は赤色で表示されます。 マップ上で、相手国を選びます。 国選択中Bボタンを押すと表示中の君主切り替えとなり、十字ボタンの↑↓で切り替えが行われます。このとき、Aボタンを押すと国選択に戻り、Bボタンを押すとコマンドを取り消しできます。 国選択後、使者となる武将を選びます。
【計略】□ 本国のみが実行できます。
【移動】
【終了】 その月のその国の命令出しを終えます。 または、何もしないで1ターンをパスします。 ■HEXコマンド HEX戦では、次のコマンドを使用します。
【いどう(移動)】
【こうげき(攻撃)】 攻撃されると兵士数が減り、0になると武将が捕らえられます。
【たいきゃく(退却)】 部隊ごとに、隣接する自国または空白地に退却します。 退却中に捕らえられることがあります。 成否は武力・機動力・訓練度などによります。 将軍が退却すると全軍退却となって、負けになります。 【じょうほう(情報)】 味方部隊や敵部隊の情報を見ます。 点滅しているHEXをコントローラーの十字ボタンで動かし、見たい部隊がいるHEXに合わせ、Aボタンを押すとその部隊を指揮する武将の武将データが表示されます。Bボタンでもとの画面に戻ります。コマンド回数には数えません。 敵部隊の情報を見るには、1回につき金10が必要です。伏兵中の部隊の情報は見れません。 【こうさく(工作)】
【たいき(待機)】 何もしないでそのHEXに留まります。 機動力が1増えます(最大6まで)。 <Ⅶ.時局急転!> ■定例イベント <Ⅷ.三國志英雄豪傑伝> ■黄巾の乱と董卓の横暴
■諸侯の連合、関羽の活躍 董卓を憎む曹操は討伐の檄をとばし、各地の諸侯もこれに応じて洛陽に向かった。その顔ぶれはといえば、後将軍・南陽太守袁術、陳留太守張、済北相鮑信、北海太守孔融、徐州刺史陶謙、西涼太守馬騰、北平太守公孫、烏亭候・長沙太守孫堅、郷候・渤海太守袁紹らという堂々たるもの、公孫のもとには劉備が関羽・張飛を従えて合流していた。諸侯はその名声から袁紹を盟主に選び、孫堅が先陣をきって汜水関に迫る。 連合軍の進攻を知って驚いた董卓、猛将華雄に汜水関を守らせ、華雄は兵糧の乏しい孫堅を打ち破り、諸侯の繰り出す武将を次々と討ち取って関を固守する。そこへ現れ出たのが関羽であった。曹操のすすめる酒を預け一瞬のうちに華雄を斬って戻ると、酒はまだ温かかった。 汜水関を突破された董卓、自ら虎牢関に陣を構え、諸侯が攻めかかると、画戟をひっさげ赤兎馬に乗った呂布がこれに応ずる。諸将を打ち破って公孫に一撃を加える瞬間、割って入るは燕人張飛。なかなか勝負がつかぬところに関羽が、さらには劉備が加勢し、さしもの呂布も分が悪く、赤兎馬を駆って逃げ出してしまう始末であった。 頼みの呂布を破られた董卓、戦意を失い、李儒の言葉に促されて長安への遷都を強行したが、その際に歴代の王陵を暴いて金銀財宝を盗み出し、富豪の財産をことごとく没収、町には火をかけた。光武帝以来栄華を誇った都はかくて廃虚と化す。
■群雄割拠へ、呂布の裏切り 董卓が西に去ってしまうと、諸侯連合軍もまた戦意を失った。やがて孫堅が廃虚洛陽から玉璽を持ち帰ると、それをきっかけに同盟は完全に崩壊、時代は一挙に群雄割拠へと突入する。ほくそえんだのは董卓、しかも長安は要害の地で自分の根拠地に近い。うまくいけば天下を支配し、失敗すればここを守って一生を終えられる。しかし、破滅は董卓の足元から忍び寄り、父子の契りを結んだ呂布が彼を裏切ることになる。 呂布を決心させたのは司徒王允の策略、そして王允の美しい妓女貂である。王允、まず呂布を家に招いて貂を嫁にやる約束をしておき、その上で彼女を董卓に献上したのである。約束違反を責めたものの、「董太師の養女として貴方様に嫁入りさせることになりました」といいくるめられ、しかし董卓にそのそぶりがまったくないので、董卓への不信と貂への想いは募るばかり。二人の密会を見つけた董卓に戟を投げつけられ、不信はついに憎しみへと変わる。王允から持ちかけられた董卓誅殺計画に多少ためらいはしたが、王允、「将軍の姓は呂、太師の姓は董。戟を投げつけるようでは親とはいえません」と口説き、呂布、ついに二度目の義父殺しを決行するにいたる。 ■「二虎強食の計」と「駆虎呑狼の計」 一方、曹操は父曹嵩を陶謙の部下に殺されて怒り、大軍を率いて今まさに徐州に襲いかかるところであった。そこで陶謙は糜竺を北海の孔融に派遣し援軍を依頼。しかし、孔融は徐州に赴こうとする途中、黄巾残党に城を囲まれ自ら窮地に陥った。そこで、太史慈を使者に平原の劉備に救援を依頼、驚いたのは劉備である。「なんと孔北海殿は天下に劉備という者がいるとご存知だったのか」というと、関羽・張飛とともに精兵三千を率いて黄巾残党を蹴散らし、公孫から趙雲と兵二千を借りて陶謙の救援に向かった。 折も折、曹操のもとに舞い込む悪い知らせ。本拠地の州を張・陳宮・呂布に襲われて残るは三城のみという。曹操、軍を引きあげて州の濮陽の呂布を攻撃に向かう。呂布は守りを固めてにらみ合うこと百数日。そこへいなごがわき起こり、作物はことごとく食い荒され兵糧も尽き果て、自然と中休みの状態となった。 陶謙の死後、周囲の勧めもあり劉備は徐州を領有し、曹操は再び徐州討伐を考える。が、荀彧に忠告されて思いとどまり、足場を堅めることを先決とし、兵糧を確保して呂布を攻撃した。休む間も与えず攻めたててあっという間に州を平定、足場を失った呂布は劉備を頼って徐州に逃げ込んだ。 曹操にしてみれば劉備と呂布が力を合わせることは不安でならぬ。そこで放ったのが荀彧の二つの策。まずは「二虎競食の計」。二頭の虎(劉備と呂布)がお互い争えば、どちらか一頭は死に、残る一頭も無傷ではおられまいと考えたが、これは劉備に見破られてしまった。次は「駆虎呑狼の計」。虎(呂布)を使って狼(劉備)を呑みこませる、つまり劉備に袁術討伐の勅命を下せば、その留守に呂布が裏切るはずというものであった。案の定劉備が出兵すると、留守の徐州は呂布に奪われた。戦場で孤立した劉備はやむなく呂布に身を寄せ、再び小沛に駐屯することになるのである。
■袁術VS.袁紹 さて、袁術は淮南で勢力を築き、その名声は袁紹にひけをとらなかった。従兄弟同士のこの二人、しかしまったく互いに協力しあえず、逆にお互いの行動を牽制するありさま。袁紹が劉表と結ぶと聞いた袁術、すぐさま孫堅に命じて劉表を攻撃させ、孫堅は快進撃を続けるが黄祖軍の矢にあたって戦死、息子孫策は袁術に身を寄せた。一刻も早く自立したい孫策、父の形見の玉璽を質に袁術から兵を借り、江東攻略へと発つ。 当時流行していた予言「漢に代わるものは当塗高ならん」、これは様々に解釈されていたが、袁術、自分の名と字がこれに該当すると信じ込んでおり、そこにこの玉璽とくれば、わきあがる不遜な野望を打ち消す力ももたぬ。ついに年号を仲氏と改めると朝廷の諸官を設け、勝手に帝号を称した。徐州の呂布と結ぼうと画し、いったんは呂布の承知を得たが、劉備の身を心配した陳珪・陳登父子が呂布を説得して断わられてしまった。怒った袁術、徐州征伐を決行するが、陳登に口説かれた韓暹・楊奉が裏切って呂布と通じたため大敗。曹操が呂布・劉備・孫堅とともに進攻してくるのを見て、袁術、淮水を渡って逃げるが、寿春の軍勢は撃破された。 こうした敗戦度重なるにもかかわらず、袁術のぜい沢とどまるところを知らず、そのため人心を失い部下も離反し、ついに身の置きどころをなくした袁術、皇帝の称号を袁紹に譲り、玉璽を土産に河北へ向かうが、病に倒れた。虚名に憧れた袁術、かくして滅び去った。
■官渡の戦い 中原を治めようと考える曹操、その最大の敵は、名家の出身、名声も人望も高い袁紹であった。袁紹の側でも、天子を迎えて許に都を置き、諸侯に号令を掛ける曹操を快く思わぬ。両雄の対決、まさに時間の問題である。 幾度かの対立があり、曹操と袁紹は官渡で再び対立した。兵糧が不足し、劣勢にもかかわらずよく持ちこたえる曹操軍。一方、袁紹軍は幕僚たちの不和に加えて袁紹自身が善言を聞く耳を持たず、別動隊に許都を強襲させるよう進言する許攸を裏切り者扱いするありさま。落胆した許攸、曹操に降参し、兵糧を蓄えてある烏巣を奇襲するように進言する。この奇襲は成功し、曹操軍、戦意を失った袁紹軍を追撃してみごと壊滅させた。曹操、劣勢を覆して天下分け目の戦いに勝ったのである。まこと袁紹の器の小ささが表に現れた戦いであった。 ■諸葛亮との出会い 官渡の戦いが終わった頃、劉備は、荊州の劉表に身を寄せて曹操に対する前衛の任務に当たっていた。曹操もはや中原での覇権を確立しつつあり、袁紹を倒せば矛先を南方に向けるのは必至、そこで劉備は許都へ進撃するように勧めるが、劉表はふがいなく傍観するのみ。 「脾肉の嘆」かこつ(自分の力を示し、功名を立てる機会のないのを嘆くこと)劉備であったが、大きな転機が訪れていた。すでに司馬徽から「時勢の急務を知るのは俊傑(すぐれた人物)のみ。ここにも伏竜・鳳雛のような俊傑がおる」と聞かされていたが、徐庶から「諸葛亮は臥龍(世に知られていない大人物)です」と告げられて、諸葛亮なる人物こそ自分の捜し求める軍師であると知る。南陽の草廬を訪ね、三度目にしてやっと面会できた。このとき諸葛亮が劉備に示したのが、いわゆる「天下三分の計」。諸葛亮、曹操と袁紹の戦いを例に引いて策略の重要性を劉備に促し、天下の情勢を断じる。 「北の曹操は百万の大軍と天子を擁して諸侯に命令を発しており、今は対等に戦えません。東の孫権は三代に渡って江東を支配し基盤が強いので、敵対せず味方とすべきです。足元の荊州は重要な地で武略を用いるべき国ですが、領主は守り通すことができません。西に目を向ければ、益州は要害に囲まれた豊かな国ですが、領主の劉璋は愚かで賢能の士は明君を得ることを願っています」 つまり、曹操と戦うためには他の勢力(孫権)との同盟、および根拠地(荊州と益州)の獲得が必要かつまた可能と指摘したのである。さらに、 「荊州と益州を支配してその要害を固め、西と南の諸蛮族を手なづけ、外は孫権と結び、内は政治を整えます。天下に変事が起これば、一人の大将に荊州の軍勢を与えて洛陽方面に向かわせ、将軍ご自身は益州の軍勢を率いて長安方面に討って出れば、民衆はみな将軍を出迎えることでしょう。こうなれば漢室の再興も夢ではありません」 劉備、目からうろこの落ちる思いがし、諸葛亮に協力を求めた。諸葛亮の方も、実力と声望は劉表以上の劉備が一介の書生にすぎぬ自分のもとへ自ら三度も足を運んだ奥ゆかしさに心を動かされ、こうして二人は君臣の契りを結び、天下三分の構想を実現すべく活動を始めた。劉備四十八歳、諸葛亮二十七歳のときのことである。
■赤壁の戦い(曹操VS.孫権) 劉表の死後、劉琮の降伏によって曹操は無償で荊州を手に入れ、その勢いとどまることを知らず。呉の孫権に最後通牒を突きつけた。孫権、張昭らに相談したが出てくるのは降伏論ばかり。曹操は天子の命を奉じ、荊州の水軍を手にした上は頼みの長江も無力に等しい、というのがその理由。曹操を拒絶するよう勧めるのはただ魯粛だけ。ここへ現れたのが劉備の使者諸葛亮。劉備にしてみれば孫権だけが曹操と敵対しうる勢力であり、これと同盟して曹操と戦わせることは死活問題にほかならぬ。 孫権に面会した諸葛亮、「すでに曹操は群雄をほぼ平定して荊州まで手に収め、劉備はその地を追われました。今は将軍自身がその力量を計って決断するときです。呉・越の軍勢をあげて対抗するなら即刻関係を断つべきです。それができないなら、武器を捨てて降伏すべきです。この緊急の折に決断できなければすぐに災いが及ぶでしょう」。孫権が「それではなぜ劉備は曹操に降伏しないのか」と問うのに、「その昔、斉の壮士田横は義を守って高祖に仕えませんでした。まして劉備は漢室の後裔であり、その英才は天下に知られています。あくまで曹操に抵抗して、その下にはつきますまい。事の成否はただ天のみが知るのです」。孫権思わず顔色を変えたが、「自分も呉の全土と十万の軍勢を持ちながら、他人の干渉を受けるわけにはいかない。決断はついた。劉備とともに曹操に当たろう。しかし劉備は曹操に敗れたばかりで戦う余裕があるだろうか」と問うた。諸葛亮少しもあわてず、「劉備は敗れたとはいえ帰還兵と関羽の水軍を合わせて一万人。江夏の劉琦の軍勢も一万人は下りません。曹操の軍勢は大軍とはいえ遠征で疲れきっており、水戦には不馴れです。また荊州の民衆も心服していません。いま将軍が劉備と協力なされば、必ず曹操を破ることができます。敗れた曹操軍が北へ帰れば、荊州と呉の勢いは強まり、三者対立の形勢となります。勝負の分かれ目は今日にあるのです」と説明して孫権を喜ばせた。弱小な劉備を孫権と対等の立場に置き、孫権に同盟を申し込ませたばかりか、後の荊州占領を承認させる伏線まで引いた諸葛亮の手腕である。 孫権さっそく兵を召集しようとしたが、幕僚たちはいっせいに反対し、ためらった。この重大な局面に登場するのが孫策以来の宿将周瑜。周瑜は「曹操は漢の丞相といっても、実は逆賊。しかるに将軍は雄才があり、父兄の業を継いで江東に割拠し、その軍勢は屈強です。堂々と漢室のために害を除くべきです。曹操軍には致命的な弱点があります。第一に関西の馬超・韓遂らが背後をおびやかしていること。第二に不得手な水戦を挑んでいること。第三に酷寒の冬を控え、まぐさがないこと。第四に中原の軍勢は水郷地帯の風土に慣れず、疫病が発生していることです。これらの危険を犯している以上、曹操軍を撃破するのはたやすいことです」といったので、孫権は決戦の意志を固めた。賽は投げられたのである。 孫権は周瑜・魯粛・程普に三万の軍勢を与えて先発させ、自らはさらに人数を動員してから後詰めとなった。そして曹操軍と孫権軍は赤壁で対陣し、曹操と周瑜の知恵くらべともいうべき展開になった。
決戦の時は来た。黄蓋、降参するふりをして曹操の軍船に近づき火を放てば、折から吹く東南の風、火はみるみるうちに広がり、周瑜はその火を追うよう攻撃し、劉備も陸から進撃して曹操軍、無惨に敗走する。 大敗した曹操、天下統一の野望を砕かれ、「官渡の戦い」に敗れた袁紹同様事業総崩れの危機に陥ったが、要所を固めて態勢の立て直しを図る。最もいい目をみたのはもちろん劉備。荊州南部の諸郡を支配し、後の三国鼎立の礎を築いたのである。 ■曹操魏王を名乗る 一方益州では、劉璋の統治能力のなさに配下の張松、法正、見切りをつけ、代わりとして劉備を迎えるべく内応した。行動に大義名分が欠けるとためらう劉備も、統の説得によって決断し、益州を手に入れて蜀の主となった。劉備は、黄権のごとく最後まで抵抗した人物、劉巴のような昔から恨みに思っていた人物、費観のような劉璋の姻戚、すべて有能な人材は高官につけてその才能を発揮させ、人心は急速に安定した。 しかし、いやが上にも民心の不安をかき立てる事件が起こる。曹操が自ら兵を率いて漢中の張魯を征伐したのである。張魯は漢中第一の要衝である陽平関を固めさせ、曹操軍を迎え討ち、曹操初戦には敗れたが、撤退すると見せかけて奇襲し、陽平関を攻略する。戦意を失った張魯は根拠地の南鄭を捨てて逃げるが、やがて降参し、漢中は平定された。司馬懿や劉曄はこのまま蜀へ侵攻するように勧めたが、曹操は聞き入れず、夏侯淵を駐屯させ北へ帰還すると魏王の位に進み、曹丕を太子に立てた。 もともと益州と漢中は唇と歯のような間柄である。張が国境を荒しまわると、張飛や黄忠が見事に撃退してきたが、毎日のように飛び交う曹操侵入のデマに益州の民衆の心は動揺した。この危機を乗り切って、劉備が益州を経営していくには、むしろ積極的に漢中を服従させねばならない。ついに、劉備、法正の献策に従って漢中に進攻した。 劉備軍は夏侯淵・張さらに援軍の曹洪と対立したが、南鄭の押さえともいうべき定軍山で、黄忠が夏侯淵を斬ってからは、大いに士気が上がった。曹操自らが出馬しても劉備軍は一歩も引かず、ついに曹操は漢中を撤退。こうして巴蜀の地を手にした劉備は、曹操・孫権に次ぐ勢力となったばかりか、漢中・荊州を前進基地として、中原に進出する可能性を開いたのである。 漢中を領有した劉備は、諸葛亮ら群臣の推戴を受けて漢中王の位についた。魏王曹操に名義上でも対抗するためだが、高祖劉邦の帝業がこの地から始まったことにちなんだのである。
■劉備の死 三国鼎立の時代には様々な争いが続いた。曹操の猛攻を防ぐために初めは手を結んでいた孫権と劉備。だが、赤壁の戦い以後、荊州を任された関羽が北伐を開始し中原を震撼させるようになると、それを恐れた孫権、劉備を裏切り、関羽挟撃のためにそれまで敵対していた曹操と手を結ぶ。猛攻を続けていたさすがの関羽もこの協力の前に、あえなく撤退、やがて潘璋に捕らえられ処刑された。 劉備、兄弟同然の関羽の死と荊州失陥の知らせに、怒りに震え、復讐を誓って孫権を攻撃した。孫権あわてて、荊州返還と和睦を劉備に申し込んだがにべもなく断わられ、ついに決戦の覚悟を決める。両軍は夷陵で対立したが、孫権配下陸遜の活躍に、劉備軍は大敗を喫した。 これに大きなショックをうけた劉備、白帝城(永安宮)で病に伏した。死を悟って息子劉禅に遺言を残す。懇切丁寧、かつ父としての愛情にあふれた言葉だが、劉備の英雄としての目は、劉禅の君主としての能力を危ぶんでおり、自分が築き上げた国家が死後崩壊の目に遭うのは耐えられなかった。そこで諸葛亮に後事(将来)を託す。 「貴方の才能は曹丕に十倍する。きっと国家を安んじ、大業を成し遂げられるだろう。もし、劉禅に君主の資格があるようならば、どうかこれを輔佐してやってほしい。しかし、その才能が無いようなら、遠慮せずに貴方自身が成都の主になってほしい」古来これほど大胆で率直な遺言を残した人はおそらくいまい。かつて、「三顧の礼」をもって出蘆を促し、「水魚の交わり」を結んだ劉備が、その死に際して変わらぬ信頼と誠実を示すのに、諸葛亮は泣いた。「臣は死に至るまで股肱(腹心の部下)としての力をつくし、忠貞の節を尽くしましょう」。 嗣子劉禅と蜀の国を諸葛亮に託し、劉備は永眠した。六十三歳のことであった。しかし、残された諸葛亮には悲嘆に暮れる暇はない。後継者の劉禅は、凡庸というよりも暗愚に近く、蜀の国は劉備が治めるようになって十年にも満たなかった。軍の大部分は夷陵での大敗で失われ、宿将たちは次々とこの世を去っていた。国内の動揺が避け難いところへ外では魏と呉が虎視眈々と狙っていた。現に魏は大軍を五手に分けて攻め寄せ、南方では・孟獲を反乱が起こしたのである。困難をきわめる状況の中、諸葛亮は、魏軍を撃退して国内を整備し、呉と再び同盟を結んだのち南方を鎮め、魏を北伐する機会を待つのである。
■三国時代の終局、諸葛亮VS.司馬懿 劉備亡き後の蜀の存亡は、政治・軍事の最高責任者である諸葛亮の双肩にかかっていた。諸葛亮は人材を適所に任じて国内体制を整備する一方、鄧芝を遣わして再び呉と同盟を結ぶと、南方の反乱を征伐した。この南征、非常に意義深い。第一に来たるべき北伐に際し背後が安全になり、第二に南方の物産が財政を豊かにし、第三に新生蜀軍の能力向上と自信回復に役立ち、第四に民心を安定させ、第五に諸葛亮自身、やや不十分だった実戦指揮の経験を積んだのである。蜀の足腰を鍛え直した諸葛亮は、ついに劉禅に「出師の表」を奉って、魏の北伐に向かう。ときに魏では文帝曹丕が死去し、その子曹叡が後を継いでいた。 箕谷に向かわせた趙雲・鄧芝を囮にして魏軍を引きつけると、諸葛亮は山を攻略し、南安・天水・安定の三郡を手中に収めた。しかし、内応を約束した魏将孟達が司馬懿に斬られたのが、つまずきのもと。街亭に進出させた馬謖は独断専行して張に撃破され、作戦をぶち壊してしまう。この第一次北伐は失敗に終わり、収穫は姜維を得たことだけだった。成都に帰還した諸葛亮は、敗軍の責任者馬謖を処刑し、自らは右将軍に降級して軍規を正した。 諸葛亮はその後もたびたび北征を行う。が、巴蜀から関中へ至る道は険しく、蜀軍はつねに補給に苦しみ、戦果を挙げながらも涙をのんで退却することがほとんど。 そこで諸葛亮は、これまでの遠征で疲弊した国力を回復させ、万全の準備を整えると、大軍をことごとく率いて出撃し、五丈原において司馬懿と対陣したのである。しかし、司馬懿はやはりこれまでと同様、正面作戦による出血を避け、補給力の弱い蜀軍の自滅を待つ持久戦法を取り、諸葛亮はなかなか決戦を挑めない。終焉は蜀軍の補給難とは別の形でやってきた。諸葛亮の日常を耳にした司馬懿、その粗食と激務ぶりに思わず「孔明も長くはあるまい」ともらしたが、その予想通りに諸葛亮、病に倒れ、ついに陣没した。五十四歳のことであった。蜀軍が撤退するとその陣営を視察した司馬懿、「天下の奇才である」と賞賛したものである。 諸葛亮の死後およそ三十年にして蜀は滅び、後、魏は司馬炎に国を奪われた。晋の建国である。さらに晋は呉を征服し、かくしてほぼ六十年にわたる中国の分裂にピリオドが打たれた。 <付.シナリオ別君主一覧> ■シナリオ1・董卓の横暴(189年)
■シナリオ2・曹操の雄飛(194年)
■シナリオ3・劉備の雌伏(201年)
■シナリオ4・諸葛亮登場(208年)
■シナリオ5・関羽の奮戦(215年)
■シナリオ6・三国の鼎立(220年)
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